テヅカ・イズ・デッド

たけくまメモから。
 >>伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(1)
 >>伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(2)

(前略)
 本書の第一の目的は、戦後の「マンガ史」や「マンガ語り」を無意識的に支配していた「起源=神様としての手塚治虫」という呪縛を、主にマンガ表現論の手法を駆使して解くことにある。同時にこれは「(手塚中心史観を離れた)ありのままのマンガ観」がどこまで語れるか? という本でもある。このありのままのマンガ観、本書のサブタイトルに倣えば「ひらかれたマンガ表現論」には、当然手塚マンガそのものも含まれる。その意味で、手塚マンガや手塚本人を貶めるものでは決してない。

 もちろん手塚以前のマンガ史については、近年の宮本大人らの研究によって「物語マンガの創始者」「映画的手法の元祖」としての手塚治虫像は崩れつつある(探せば探すほど、前例が出てくるのだ)。今では無邪気に「マンガのすべては手塚から始まった」と公言する論者は、さすがにいないだろう(不勉強な人を除けば)。

 にもかかわらず、問題の本質は深刻である。意識のうえでは「手塚は神様ではない」と思っていても、心の奥底では抜きがたい信仰のようなものが、現在までのマンガ論を支配してきたと考えられるからだ。伊藤は、そのひとつの現れとして手塚の死後、90年代に入って顕著になった「マンガはつまらなくなった言説」(伊藤剛命名)に着目する。本書の第一章は、まるまるこの「つまらなくなった言説」の検証に費やされている。
(後略)

確かに最近の音楽なんてあんまり聴いてないし研究もしてないなぁ。今聴くのは昔手当たり次第に聞いた中でチョイスしたものの流れで選り好んでるだけだし。
別に俺は評論家じゃないから選り好みしても全く問題は無いが、それだとやはり、肝心な事や面白い事を拾い損ねたりするから選り好みしない姿勢は大切だなぁ、と。ってこの本にそのような事が書いてあるのかは知らんが、読んでみる価値はありそうだ。
そういわれてみれば、昔はディズニー作品とか全く興味なかったけど、子供が生まれて見るようになったら面白いもんな。

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ
4757141297伊藤 剛

NTT出版 2005-09-27
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